思い出「母の脳と、はやぶさ2。」
70歳の春、脳梗塞(こうそく)と診断された母は、呂律がまわらず、言葉が出ず、麻痺はなく、ぼーっとしており、認知症の症状がでました。それはある日起きた家族の事件でした。
手術はせず、薬の治療を続けました。退院後、
それまでは、部屋の電気をつけっぱなしにする父を愚痴りながら、片っ端から電気を消していた母が、見事に、ALLつけっぱなしの母に様変わりしてしまいました。母は、当然のことながら、母本人に違いないけど、頭ではそう理解しても、やはり涙が溢れてしまいます。約30年近く、毎朝続けていた唯一の書道や、小学校に訪問する生き甲斐となっていた朗読の会は、字がうまく書けなくなり、声もよく出せなくなってしまい、辞めました。仕方のない事ではありましたがこうした変化が、子としては寂しく、わびしく映って辛かったです。
けれど失った事ばかりでもなく、生まれ変わったかのように、二度美味しく感じたこともあります。たとえば、性格です。前よりもだいぶキツくなくなり、(怒らせるとかなり怖かった…)、別人のように物腰が柔らかくなり、時に、人生のカウンセラー役にもなってくれたこと、いまだに信じられない。まさしく、母は人が変わってしまったのでした…(笑)
思い出すのは、歩行がぎこちなくなり必然的に手をつなぐと、照れるぜ…と思いつつ、こうならなければ、得られなかった瞬間が、今まさにここに訪れたりと感じた温もり。
思い出をより綺麗な思い出へと更新している私の脳。
75歳で旅立つまで、母の脳内で何者かが起こした、不思議な変幻が、永遠に解読不能で深淵なビックバンさながらの確実さを帯びて思えてきました。自分のかつての思い込みや妙な自信のような勘違いもシャットアウトされてしまいました。
〔はやぶさ2〕が、地球に持ち帰った砂の解析が、進められているそうです。大量の水と有機物が確認出来たのだそうで、びっくりです。
ということは、宇宙の小惑星リュウグウにはもしかすると、母や、その後追い掛けるように逝った父や、私の好きだった人たちが、生きているのでは無いのかな。私の内部の幼稚っぽい期待というかズレが、今日を生き抜く糧にもなり、わくわくしながら遠くでリュウグウと解析とを見守っていきたいです。