Aplaudoのブログ

ハンドメイド作家さんの作品を扱っている、茨城県水戸市南町3丁目のAplaudo(アプラウド)です。アプラウドの2階は、ギャラリー誉(よ)りみちです。

「感性というのは、誰にでも、瞬間にわき起こる」

美術大学の先生をしているという、
ある筆者のコラムに目が止まりました。

抽出液のようになりますが、ところどころ
にじみ湧いてきそうな部分を勝手に取り出してみます。


‘日本人は修行が好きだ。努力した者が高く評価される。敗者にさえ
独特の美学を見ようとする。
芸術まで苦行をよしとするように
なってしまう。
が、それはちょっとまずいのではないか。
芸術に修行が必要だろうか。
芸術に技は必ずしも必要ではない。
芸術に必要なのは、圧倒的に感性である。’

‘そもそも、…すぐれた美術作品とは
どんなものだろうか。
答えは簡単で、観る人の心を動かすものにほかならない。
ポジティブな感情でもネガティブなものでも…、なぜだか頭からずっと離れない。

それが、芸術が作品として成り立つ根源的な条件である。’


…と読んで、まずここだけから推し量ると、
では、生前、見向きもされなかった作品が
作者の死後、ぐんと評価されたなどというのは、筆者からすると「すぐれた作品ではなくなっちゃう」ということかな??と
チラリ解らなくなってしまいました。∑(゚Д゚)
でも、それはそれで…。


筆者の言葉で、特に記録したい箇所。


’芸術における感性とは、あくまで
観る側の心の自由にある。

個が全責任を追って観ることができるのが芸術だ。
ところが安易にこの権利を作り手の側に
渡してしまう。

この絵の描き手はどのくらい描写の技を持っているか、
過去にどんな履歴を積んでいるか、
どんな有力な流派に属しているか。

これでは心は動かされない。
反対に心を支配されてしまう。
そうならぬためにはどうしたらよいか。

感性など、みがこうとしないことだ。‘

誰でも、自分の心の中身を知るのは
怖いけれども、

‘芸術作品とは、自分がなにものであるのかを映し出す鏡なのである‘と…。


椹木野衣「感性は感動しない」)


毎日の惰性化で、無頓着になりがちな
ことが色々ですが、
まずは、本当の鏡を見て、あきらめないことから始めようと思います。(*^_^*)

難しい…!

イメージ 1


イメージ 2


ご要望をお聞きして、
ワンピースとブラウスを製作しました。
ミツバツミさんと、michiさん製作。
各10000円弱、今回は布選びを作家に託しました。


出来上がりのご連絡後、
早速見にいらしてくれました。
気に入って下さり、あぁうれしか~(笑)

ワンピースは40歳代、ブラウスは70代の方に着て頂きます❤
別の方が、「私も欲しくなっちゃう」…。
他では手に入らない、タイミングがGOODと
いうことで、ミツバツミさん二着目よろしくお願いしますm(_ _)m