好きな言葉のひとつです。
東日本大震災で災害に遭われ避難指示を受けたために
故郷の福島県をやむ無く離れ、
茨城に転入されてから友達になったsさんと、
もうすぐ3年のお付き合いとなります。
明るい物腰のsさんが、
色々と辛い経験を乗り越えここに来ていることを想像すると
友達として心から尊敬し、
申し訳なく思い、私のひもじい想像力をして、
お互い温かさで関係を持続してこられたことに、
ただ感謝がこみ上げてきます。
そんなsさんから、先日、震災関連の新聞記事に、匿名で載ったと聞いたので、
早速探してみると、ありました、ありました。(2/26 朝日新聞)
目を通すと、内容がずっしり迫ってきて…。
一瞬、言葉に詰まりました。
ただ、私の垣間見ているsさんと
記事との間には、
隔世の感もあり。
実際に聞くと、「いわきの『ほうから』きました」と、
「被害が『少なかった』場所」と言ったそうだから
記事の表現は、印象を強くして読者の目を惹こうとする、
文字数に制限があるのは仕方ないけれど、
新聞の陥りがちな業かもしれない事に、ちょっと渋い後味でした。
それはちょっと蛇足として、
「欧米の女優は、波瀾万丈の人生でも、それを外に出さず、
素知らぬ顔をして生きていて、それを日本の映画監督が褒めていたという記事を
雑誌か何かで読んだ時、
自分は感動して、脳天が打たれたことを思い出し…
いま貴女の記事と、重なってみえた」と話をすると、
sさんからの返答は、
「いつも天真爛漫な友人の○さんは、
震災の津波で家を流されたけれど、
故郷で暮らしていたら、…親切な人達など知らないまま 一生終わるとこだった、とポジティブ。
いつも現状をポジティブに変換して
感謝することを忘れないので、
それこそ脳天を打たれました。
無いものを探すクセはやめようと思った瞬間です。
今は、茨城に引っ越してきて
本当に良かったと思います。」
といわれました。
3月11日。
今日の記念日に記させて頂きます。