Aplaudoのブログ

ハンドメイド作家さんの作品を扱っている、茨城県水戸市南町3丁目のAplaudo(アプラウド)です。アプラウドの2階は、ギャラリー誉(よ)りみちです。

幕末歴史プチ散歩

秋、空高くなる昼下がり、地元・水戸の
幕末歴史プチ探検に出かけました。(゚∀゚)


水戸市立見川小学校の近くには「妙雲寺」というお寺があって、
境内に、水戸藩士・武田 耕雲斎 と一族のお墓が建っています。
時代は、安政の大獄桜田門外の変など、
教科書でお馴染みの江戸幕府末期の乱世。水戸藩の若い部下の起こした兵(天狗党)を、最初は水戸藩の家老、武田耕雲斎は自重させるつもりだったけれど、
凄まじい攻勢に遭ったために、同情してしまい、一緒に戦うことを決意する。
天狗党派はおろか、耕雲斎らの一族もろとも、最期は悲惨で、非業な死を遂げされられたといいます。(天狗党の乱)


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武田耕雲斎のお墓があります。「妙雲寺」。

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お寺の奥の方にそこは静かにありました



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’天空の花’とも呼ばれている紅い彼岸花が、お墓のほうに顔向けして咲きました。



天狗党を追い詰めて、彼らを断罪に処した、諸生党(しょせいとう)も、天狗党も、水戸藩士であるから、 かつて仲間同士だったはずなのに、
天狗党の死者2000人以上だったという想像するも無惨で哀れな殺戮劇は、今から数えて僅か150年ほど前の出来事だったことに、そして内戦がこの地・水戸で起きたことにも、
やはり信じられない思いが湧いてきました。



ほどなくして明治が幕開けると、途端に潮目が逆転し、今度は諸生党が干されていくのですから‥。
血を血で洗うような悲劇。旧天狗党派から、激しい報復をうける‥。当然といって仕舞えばそうなのかもしれないけれど、時代にただ翻弄された哀しい歴史の一頁を思い巡らすとき、
もしもいま、幕末の水戸の人びとが、この在る世界を見たら、なんというだろうと思ってしまいました。
(「弘道館の戦い」両党あわせ死者約180人)




後日、興味が湧いたので、諸生党のお墓にもプチ史跡探検してきました。
そこは、天狗党首領・武田耕雲斎の墓がある妙雲寺から、3キロ程しか離れていない、祇園寺(ぎおんじ)というお寺にありました。すぐそばには私立茨城高校があります。



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古式ゆかしい佇まい、祇園

静かな境内を歩くと、諸生党を祀る、立派な慰霊碑が建っていました。もうすぐお彼岸でもあり、お線香の煙が霞立ちます。
諸生党の慰霊碑を見上げると、「恩光無邊」おんこうむへん、おんこうむべ(?)と揮毫(きごう)された銘文がありました。


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光のシャワーを浴びて、恩光無邊 っぽい
銘文、みえますか? 上部の方ですが‥


後で調べてみると、この碑を建てた人は、弘道館戦争で大怪我を負って「歴とした、天狗派であった」= つまり敵方の、室田義文(むろた ひろあや)という人物だったというのだから、驚きました。
弘道館戦争から約70年の年月が流れた後(のち)、ついに両者の霊を 祀ったのですね‥。




幕末の出来事はとても複雑だし、とても素人の私には紐解けるようなものではありませんが、史跡を歩きつつ、 そんなに昔に生きていたわけでは無い先達を、心に思い巡らすとき、ロマンを感じます。




平和で安寧な日々を願っていた彼らの息吹きのようなものが、すぐそばに感じます。
いま生きていく私たちは、戦争の無い世界を守り、未来へと繋いでいかなければなあと、それを先達にそっと約束しました。

秋のいい日になりました。またぶらーり、水戸歴史プチ探検してみようかな。



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長々とありがとうございました。


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祇園寺に建つ慰霊碑
恩光無邊‥‥《万物を生育する太陽の光》が《いつまでも広大で無限であること》


武田耕雲斎の妻、ときの辞世の句
山吹の 実(身)は なきものと思へども
つぼみのままに 散るぞ 哀しき