Aplaudoのブログ

ハンドメイド作家さんの作品を扱っている、茨城県水戸市南町3丁目のAplaudo(アプラウド)です。アプラウドの2階は、ギャラリー誉(よ)りみちです。

ヴェネツィア

海と運命を共にすることを誓い、
海と結婚をした街といわれる、ヴェネツィア

ヴェネツィアに住む人々は、独得な人格に必然的に変わらざるをえなかったであろう。
ヴェネツィアが、他のどこの都とも比較しようのない都である、ということに似て」
とはゲーテが残した言葉。


心の隅に興味が掻き立てられては
いましたが、さしたる準備もせず
この冬、念願のひとつだった
ヴェネツィアへ行ってきました。^_^

タイムスリップした異国感が
五次元以上溢れる 中世の都市を、
水路で滑るように、ゴンドラに乗っかって、
海から眺めて感じたこと。
それはまるで、このヴェネツィア
人魚が作ったのでは無いかということ。

人々が住むメリットが、この迷路の
どこに隠されているのやら、
ゴンドラ上からは
どうにも わからなかったです。

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400以上もかかっている小さな橋、
大きな橋。歩いて渡る。
自動車の通行は、街中ダメ。
いや自転車だってNGだというのです。


一見、大変 億劫そうな土地を何故選んで、
どんな変貌を遂げながら
ヴェネツィア人は、
1000年もの長き時間を
暮らしてきたのだろう。不思議になります。


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リアルト橋から。



謎に包まれたまま
日本に帰ってから、
塩野七生さんの「海の都の物語」を
読み始めました。
ヴェネツィアのお国づくりについて
書かれています。
あっと驚いたことには、
ヴェネツィアの始まりが、「ゲルマン人の大移動」(これなら歴史の教科書で覚えてます)と
とても関係してるらしいことでした。

ただし、それはゲルマン民族の立場でみればの話。
ヴェネツィアに暮らしてく人々にとっては、
それは大変怖ろしやな関係だったようなのです。


ゲルマン民族の移動とは、
ある意味、蛮族の移動だった。
襲われる側は、
恐怖から逃れて身を守るために、
見つかりにくい葦の生えてる干潟へと命からがら逃れたのが、
ヴェネツィアに人々が暮らしだす
始まりだったと書かれていました。


なんと‥。
つまり 難民だった‥のですね。
攻める側にしては「奪う価値もない沼地」を、最後の砦として、隠れ蓑にして、
選んだ、というのか
選ばざるを得なかったというか。
人格までも必然的に
スイッチせざるを得なかったこと、
何と無くわかる気がします。



そして、1000年間も、自由と独立を守っていたヴェネツィアは、
外交や貿易に長けていたが、
'アンチヒーロー' にも徹していた。

ひとりひとり。ヒーローは居なくて、
人々は仮面の下にすごい努力と
なにか大切なものを忍ばせて、きっと
国づくりをしていくのだろう‥。



う~ん、これは
旅への憧憬を一層、掻き立てられそうな


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これから塩野さんの本の中で、
机上の旅を楽しんでみます。
そして特に弱き立場の人たちの
生きた術について、思いを巡らせてみよう^_^


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(ヴェネツィアはカーニバル中。快く
シャッターに応じられて。)


ある土地を訪れると
その土地が好きになりますね。


またしても
知らなすぎる歴史の一頁を垣間見ました。


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聖マルコ広場


長々ありがとうございました。