有史以来、誰も見たことが無い
異様すぎる光景でした。
今回のヒマラヤの氷河の決壊。
数千万年かけて形成された氷河などの
自然遺産が、
わずかこの30年で
溶けて無くなってしまっている。
今までも耳にしたことはありましたが、
正直な所、実感が湧きませんでした。
それが、ヒマラヤの氷河が
制御のきかない怪獣のようになって
周囲を襲い尽くす映像を見て、
言葉を失いました。
静かに溶けて行くのではなく、
こんな姿で、ある意味
自爆するのが自然であるのかと。
地球の変動のわずか序章に
すぎないようでもあり、
暗く重たい気分になりました。
恐らくは産業国に住む私たちが
もたらしたツケなのだとそう思います。
ネパールの方々や
被害に遭われた方々には、
本当にお気の毒でなりません。
人々が〝最速〟を重視してきた結果、
もはや、生き物の残り時間までも
早めてしまったとしたら、
なんて愚かなことだろう。
でも、だから、じゃあ、
今からどうするのか。
考えてみるのですが、
変化が怖いようにもなって、
かたまってしまいます。
意気地なしで小心者の私…
詩人、石垣りん の75年前の、
「雪崩のとき」は、
平和、永遠の平和を
うたった詩です。
終戦からまだ5年後くらいに
発表された作品で、
(日本は)武装を捨てたばかりで、
不自由さがあっても、
心には平静があり、
平和という言葉が
粉雪のように舞って、
どっさり降りつもっていたと
綴られています。
でも、わずか終戦から5年の
時間のながれで、
石垣さんは、降り積もった雪の下の
「野心、いつわり、欲望の芽」を
見抜いてしまっていました。
しかたがない、しかたがない
しかたがないと、
〝すべてがそうなってきたのだから
仕方がない〟と
他の雪を誘ってその言葉が
だんだん勢いづき、
落ちてくる。
雪はとうに降りやんでしまって、
それが(その言葉が)
私にはきこえる、のだと…。
「雪崩のとき」は、
人間の消えない業(エゴ)、
煩悩を炙り出していると思います。
今後、危険性のある
永久凍土が溶けるなどの複合災害を、
ネットで少し調べてみると寒気がしました。
(凍土の中から、
大昔のウイルスや炭疽菌などが
蘇る可能性が
懸念されているそうです)
ネパールの国にささやかな募金を
するつもりですが、
燃料を大量に必要とする飛行機などで、
遠くへ旅する夢は、これからは
もうみないように自重します。
行けるところへは自転車や、徒歩、
公共交通機関を使うことから、
移動範囲を慎んで、
回数を減らしていく、などもまた。
長々と心境を書いてしまいました
ありがとうございました。
小路裕子