水戸も、あちらこちらで桜の花が開いています。
結構いたる場所に
桜の木々があることに気付きました。
一斉に咲き誇る見事な団結力に、固唾をのんでしまいそう…。
パラパラと降る春の雨と風が
桜をさらおうかと
空とにらめっこしています。
「桜」というと、必ず思い出し読み返してしまうのが、
茨木のり子さんの「さくら」です。
さくら 茨木のり子
ことしも生きて
さくらを見ています
ひとは生涯に
何回ぐらいさくらをみるのかしら
ものごころつくのが十歳ぐらいなら
どんなに多くても七十回ぐらい
三十回 四十回のひともざら
なんという少なさだろう
もっともっと多く見るような気がするのは
祖先の視覚も
まぎれこみ重なりあい
霞(かすみ)立つせいでしょう
あでやかとも妖し(あやし)とも不気味とも
捉えかねる花のいろ
さくらふぶきの下を ふららと歩けば
一瞬
名僧のごとくにわかるのです
死こそ常態
生は愛しき蜃気楼と
茨木のり子詩集『おんなのことば』より)
ぼやりとした腑抜けた気持ちを、
奮い立たせることの多い
茨木のり子さんの詩のなかで、
生と死について、見事に
決定的に諭されます。
一斉に咲き誇り、
風に乗ってハラハラと散る美しい花びらは
私たちの隣りに
いつも不思議な自然があることを告げています(*^_^*)
…☆…
《今日のオーダー品》
美味しいイチゴの季節は終わってしまったので、
これからは、ys factoryのフェイクスイーツの苺ネックレスに旬を見いだせそうです。
近くの高校生たちが
お揃いでオーダーしてくれました。
練乳がトロリとかかった
ハート型のような
イチゴのネックレスは、
16歳のハートも甘酸っぱく即座にわしづかみした模様。
…☆
雨に見舞われて、
お客様も不在になりました。
このスキに
茨木のり子さんの詩をもう一編…。
↓
…
「水の星」
宇宙の漆黒の闇のなかを
ひっそりまわる水の星
まわりには仲間もなく
親戚もなく
まるで孤独な星なんだ
生まれてこのかた
なにに一番驚いたかと言えば
水一滴も こぼさずに
廻る地球を
外からパチリと写した一枚の写真
こういうところに棲んでいましたか
これを見なかった昔のひととは
線引きできるほどの
意識の差が出てくる筈なのに
みんなわりあいぼんやりとしている
太陽からの距離がほどほどで
それで水がたっぷりと
渦まくので あるらしい
中は火の玉だって いうのに
ありえない不思議 蒼い星
すさまじい洪水の記憶が残り
ノアの箱船の伝説が生まれたのだろうけれど
善良な者たちだけが
運ばれて 積まれた船であったのに
子子孫孫のていらくを見れば
この言い伝えも いたって怪しい
軌道を逸れることもなく
いまだ死の星にもならず
いのちの豊穣を抱えながら
どこかさびしげな 水の星
極小の一分子でもある人間が
ゆえなくさびしいのもあたりまえで
あたりまえすぎることは
言わないほうがいいのでしょう
(筑摩書房より)