「光のごとく」という詩集、黄色いお花が綺麗な詩集。(フランス装というのだそう)は、
東海村にいらっしゃる、野田由美子さんが出された処女詩集です。
ご本人から、なんとプレゼントしていただきました。
時々お店に来てくださり、海外に住むお子様やお孫さんたちに
ちょっとした贈り物を選びにきてくださる野田さん。
いつもパワーときらめきを受けています。
自分の本を出されるって、どんななんだろう・・・!とおもいます。
小学校5年生から書き始めておよそ半世紀、
「来年、ぼくはいないかもよ」と、
旦那さんに後押しされたことも大きいのだと、
少しはにかんでおっしゃいました。
「光のごとく」は
アプラウド文庫で、お貸ししています。(笑)
野田さんと共通の話題で盛り上がった、お互いに大好きな、
茨木のり子さん(故人)の詩集。
「よりかからず」という詩集を
他の方(megさん)にも読んでいただいていました。
あれあれ・・、詩のカードの、おみやげ付きだ♪
「自分の感受性くらい」という名の詩。ご存知のかたも多いかも…。
(megさんは部屋に飾っているんだそうです。)
読むたびに後頭部をズキューーンと
打ち抜かれるような詩です。
「自分の感受性くらい」
ばさばさに乾いてゆく心を
ひとのせいにするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも 下手だったのはわたくし
初心 消えかかるのを
暮らしのせいにするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊敬の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
・・・・☆・・・・
あぁ、またしても爽快に・・、打ち抜かれました。
モヤっとした煮え切らなさを、瞬間冷却されたような感触です。
いくつかある、自分の向きを変えるくらいに鮮明だった、
茨木のり子の詩。
それに、おちゃめの詩と出会えたときも、うれしかった。
・娘たち、さくら、あほらしい唄・・・、水の星、など特に好きです。
けれど、茨木のり子さんは、本のあとがきで、
「振り返ってみると、すべてを含めて、自分の意志で
はっきりと一歩前に踏み出したと言う経験は、
指折り数えて、たったの五回しかなかった。」とも、語っています。
なにか 称えていいはずの、「もろさ」を人一倍、知ってくれている、
私にとってはそんな‘応援歌‘っぽさもありました。
↓
「汲む」 より
大人になっても
どぎまぎしたっていいんだな
ぎこちない挨拶
醜く 赤くなる
子供の悪態にさえ 傷ついてしまう
頼りない 生牡蠣のような感受性
それらを鍛える必要は少しもなかったのだな
年老いても咲きたての薔薇
柔らかく 外にむかってひらかれるのこそ難しい
あらゆる仕事
すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されてる
きっと・・・・・