思想家で武道家でもある内田樹(たつる)さんが、
昨日の新聞に、カジノ、おカネ、人間、政治のこと、など
多くを語っていた記事を読みました。
ツイッターも時々見ますが、
新聞紙面でも、
世の中の煮詰まったかたまりを
ゴッソリすくって、剥いて、
厳しく斬っていく。
痛快なオヤジさん此処にありきでした(失礼)
コーヒーを入れたまま、
飲まずに読んでしまいました。
その、内容から一部、
「賭博をやめろというような
青臭いことは言いません。
『よくないもの』を禁圧すれば、
欲望はより、危険なかたちをとる。」
「カジノ法案には賛成できない、
賭博は市民が生業としてやるものじゃない。
法案はただビジネスとして
扱おうとしてる点で、
賭博が分泌する毒性について、
あまりに無自覚だと思います。」
「一攫千金の夢に迷って、
市民生活ができなくなる人間が増えるほど儲かるというビジネスです。
不幸になる人々が増えるほど
収益が上がるビジネスである以上…
…僕には信じられません。」云々
巨大な赤ちゃんを諭すような言葉。
一部の抜粋で、途切れ途切れですが…。
… ……
遠い昔、「カジノ」の三文字にソワソワと海外に出かけた個人的体験も、
「馬鹿だったかなぁ」と、
付いて回り浮かんできます。
別段、負の意識も覚えず、ただ面白そうじゃん!と、
無自覚にカジノ国にでかけたこと。
(フィリピン、カナダ、
オーストラリアなどでカジノして、
オーストラリアではその名もカジノという名のホテルに泊まる)
その時と場所で、娯楽を無防備に「楽しんで、」
その後も特に染まらず、現在まで辿ってきた。まぁカワイイ程度、だとも思う。だけど、
なんだか…
軽薄な喜びに 舞い上がったことが
数十年後の今になって、
途方にくれるほど切なくなるときがある。
その時には恐らく感じなかったということを、今の自分が塗り替えるように
感じ直す。(まるでプチ償い?)
天下のまわりものである、おカネのことを読んだ時にもぐぐっと感じました。
内田さんの最後のこの言葉がきました。
「金より大切なものがある。それは民の安寧である」
という箇所でした。
しかも、それを飽きるほど、
言い続ける必要があるのだそうです。
飽きるほど、というところに、
当たり前の大切さを見失い
目先の変化ばかりに吸い付く自分たちを
嘲笑うかのようでなんだか悲哀だな…
現実的には、お金を無くすと、
生きる手だてを失う(と“誤認“してる?)のだけど、
今日から少しずつ、うまく運転は出来ないものだろうか と。
誰かの不幸の上や、誰かの権利を搾取した果ての一部分を、
渡していたり、渡ってきたり、
(なってるんだろうな…)
変な言い方をすれば、
汚い顔していないかな(お金と、自分と、)
話が横道それてしまいました💦
商売人の端くれ者にとって
ちょっとその向き合い方にどこか不安を感じるので、
この根深そうなミニ経済問題、
自戒を込めて
ボンヤリながらも考えてみたいです。
長くなってすみません(^-^)
だいぶ肌寒くなりました。
どうか皆様ご自愛ください…!