水戸市南町3丁目 で、
大通りから一本奥に入った道路の、
十字路に位置します。
この十字路より、
町名が四分割されていまして、
つまり、ちょうど
ここが、町の分かれ目なのです。
(ということに、最近気づきました!)
北東 ‥五軒町(ごけんちょう)
東南 ‥大町(おおまち)
南西 ‥南町(みなみまち)
西北 ‥泉町(いずみちょう)
ほぉ、、今さらだけど、なるほど!
(笑)
道は、片側一車線の、そう広くはない
ごく普通の道ですが、
昔は、路線バスも通っていたらしい。
![](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/A/Aplaudo/20190904/20190904165632.png)
幹線道路だったのですね。
東日本大震災のとき
お店の窓ガラスが割れなかったのは、
もしかしたら、この辺りが
水戸城の内堀で、
地盤の恩恵なのかも知れません
という、
歴史ミステリーは、
震災後に、大家さんから訊きました。
時間軸が縦軸にかわり
壮大感が湧きました。
‥ ‥
そういえば、天気の良いとき、
そらを見上げると、
雲がゆらゆら泳いでいるときに、
ふと、「おうい雲よ ‥」 の詩が
浮かんで来ること☁⛅ありませんか。
その作者である
詩人、山村暮鳥(やまむら ぼちょう)は、
群馬県出身で、水戸に住んでいたこともあり、
41歳のときに、大洗で亡くなったそうで、
暮鳥のお墓(詩碑)は、知る人ぞ知る
(地元の人は周知かな?)
アジサイで有名な
水戸市松本町の保和苑(ほわえん)に
あります。
少し調べてみると、暮鳥は、
約100年前、‥いやちょうどキッカリの
ザ100年前かも!しれない。
アプラウドの隣にある、
「愛恩(あいおん)幼稚園」 へと、
日々、日々、布教活動に通っていたらしく‥!。
たまたまそれを知り、
この道を歩いていたんだ!と、思ったら、
益々なんとも言えず、
時間がこれまた逆回転。
ゾクゾクしてきました。
お馴染みの絵図が
立体感が出て、
急に奥深く光るから不思議です。
機会があったら、節目の100年に、
もう少し調べてみたいです。(^ ^)
‥ ‥ ‥
山村暮鳥の詩の一部より掲載させていただきます。
雲
丘の上で
としよりと
こどもと
うつとりと雲を
ながめてゐる
おなじく
おうい雲よ
いういうと
馬鹿にのんきさうぢやないか
どこまでゆくんだ
ずつと磐城平(いはきたひら)の方までゆくんか
ある時
雲もまた自分のやうだ
自分のやうに
すつかり途方にくれてゐるのだ
あまりにあまりにひろすぎる
涯はてのない蒼空なので
おう老子よ
こんなときだ
にこにことして
ひよつこりとでてきませんか
‥ ‥
おなじく
ああ、もつたいなし
かうして生きてゐることの
松風よ
まひるの月よ
おなじく
ああ、もつたいなし
もつたいなし
蟋蟀(きりぎりす)よ
おまへまで
ねむらないで
この夜ふけを
わたしのために啼いてゐてくれるのか
おなじく
ああ、もつたいなし
もつたいなし
かうして
寢ながらにして
月をみるとは
おなじく
ああ、もつたいなし
もつたいなし
妻よ
びんばふだからこそ
こんないい月もみられる