Aplaudoのブログ

ハンドメイド作家さんの作品を扱っている、茨城県水戸市南町3丁目のAplaudo(アプラウド)です。アプラウドの2階は、ギャラリー誉(よ)りみちです。

劣等感は自信の素?

野村監督が亡くなられる8ヶ月前に出演された、NHKラジオの録画を先日聴きました。

随分お洒落な腕時計をしていますね!とてもお似合いですといわれて、

僕は、劣等感の固まりですからこういう時計をつけるんです、というノムさんの返しに、肩の力が抜けてきて、楽しみながら聴きました。

東京オリンピックの野球の日本代表については、経験も実績もない監督がどこまで出来るのか、かなり見ものだという厳しい指摘もありましたが。)

 


また、日曜のNHKテレビではノムさんが監督として黄金期だった60代の頃のインタビューが再放送されていました。

特に私の印象に残ったところは、

一番、誇れるものは何ですか?という質問に、

うーんと考えて、タイトルをとって来たこととかよりも、自分の母親(の存在)だろうね、

と答えられたシーンです。

さぞかしお母さんが偉大だっただろうと続きを観ていると、そうでは無くて、ニコニコしながら、

戦争未亡人の母親は、この世にまるで苦労するために生まれて来たような人で、

その母から一度だけ自分の野球について、ポツリと褒められたことが、敢えていうなら最も誇れる唯一のことだというような答えをされたのです。なんだか感動的で意外でした。

 


戦争が知らない私達は、戦後の極貧生活というご苦労は、とても想像し足りるものではないわけですが、

幼少期から生涯に渡り、貫いた劣等感は、

それを反骨精神とか克服するとかいうワードよりも、

むしろ受け止めて、ユーモアのセンスで

何かへと昇華させていくことのほうが得策で

結果自分らしい使命をもって、生き抜くことができるのかもしれないと今に照らして感じました。

劣等感は人間である限り完全に消し去れるものではないのだからということでしょうか。

 


どんな事態も、自信に変えていく、

人生の目標を柔軟に変化対応しながら舵取りする勇気、(最盛期を過ぎたと云われるベテラン選手を新たに活かす)

それもノムさん流儀から学べることなんだと思います。

 


霧で見えないような不安な時代ですが、自分が関わらせてもらっている世界で、お互い皆んなでその先へ開いていけるようなエッセンスが、散りばめられている気が致しました。

 

 

野村克也さん、天国から皆を

見守っていてくださいね。