おはようございます。
『批評的態度』が良くないのは、
ちょうど器をふさいだまま、
水を注いでも、少しも溜まらず直ぐに水は流れて、
結局ただ濡れただけになってしまうことと同じだから。
反対に『敬う心』を起こせば、
器を仰向きにして、注いだだけの水は、
一滴もあまさず全部がそこに溜まることと同じとなる。
人間、敬う心が無いと
たとえ立派な教えを聞いたにしても、
心に溜まるということがない。
この『敬』というのは自分の態度の
根本的な転換だといってよいが、
実際には、敬の心を起こすことは、
そう容易なことではない。
(生涯ついに敬うべき真の対象を見つけ得ないでしまう人もいる。
そういう人は、生涯、器が伏さったままで終わる人である)
そこで敬う心を起こす手がかりとして、
形の上から、地ならしをする必要がある。
そうしてそれが、広い意味での、
『礼』というものの意味である。
(挨拶も同じ?)
自分より目下の人や若者が、
正しい礼をしていないという欠点や
足りなさというものについては、
これを咎めるより、果たしてよく
教えてあるかどうか否かを
省みなくてはならない。
従って、目下の者の罪を咎め得るのは、
教えて教えて、なおかつ相手が
どうしてもそれを守らなかった場合のことである。
現実界のことは、結局一人の力が
すべてを興す基となり、
そのスタートとなるもののようである。
(参考・修身教授録 森信三 著 )
今日から新しい一週間
そして、明日からいよいよ
走るはしるの師走です。
余裕が無い時こそ
『いらっしゃいませ🎵』『こんにちは



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