古ぼけた荷物整理を実家でしていると、
高校生の頃、国語の授業で書いた
「こころ」を読んで (感想文)が、
カピカピに変色し、出てきてしまいました。
そう言えば、今年は何かと夏目漱石と、
「こころ」にちなんだ年でしたね。
ウン十年振りに、とっさに原稿用紙に目を通すと、
昔の自分と対面した数分間が
あまりに恥ずかしく、
ところどころ大笑いでした。
私のやかんは噴き出しっぱなし、
高校生の何様レベルは、大沸騰…。
「先生」の辿った人生を、
けちょんけちょんにけなしながら、
愛みたいなのを語りたがって、結局
滅裂になってる
17歳の高校生の、見事なとっ散らかり様でした。
漱石先生どころか
国語の先生に読まれたことすら無惨で、
消えかけた検印も、
つまらない感想文だね~、チョコンと、軽く押すだけの
ご愛嬌だったと、わかります。(^^;;
それでも、現在の自分は、可哀想なので
一箇所だけ、へぇーとくる
ところを見つけ出しました。(´・_・`)
“生まれつきともいえる本能をもろに
ぶつけた人間は、
もはや死しか残されないのであろうか、
人間自体に絶望し耐えきれなくなった
人間のゆくえはないのであろうか。
ここまで追い詰められた人間はどうすればいいのだろう。”と…。
いまだに、確かに、
こたえのわからない問いかもしれないですね。
(ウン十年なにをしてるのかな~)
… …
漱石は、「自己本位」という四字を
留学から帰国後の悩みの中で自分の手に握ってから強くなったといいます。
自己本位とは、単なるエゴ(利己主義)ではなく、
他人に依存せず、自分の考え信じるところを基本にすること。
自他が互いに尊重しあうこと…。
それだから、その裏面には、
人にしられない淋しさも、
ひそんでいるのだと…。
……
こころの移ろいやすく、融通がきかず、
同時にひとつのことしか考えられない脳との関係と、
かけ合わせば不思議と創造し続けるであろう無限に、人間のゆくえはあるのかな。;^_^A