Aplaudoのブログ

ハンドメイド作家さんの作品を扱っている、茨城県水戸市南町3丁目のAplaudo(アプラウド)です。アプラウドの2階は、ギャラリー誉(よ)りみちです。

表現とは…? (パート2)

芸術ってムツカシーなぁ~。って、もがいていたら?、
ちょうど目からウロコな本に出会いました。
といってもその本もムツカシかったりするのですが(^^;)
ちょっと私の強引な解釈を押し当てつつご紹介したいと思います。

まず、「何のために、芸術があるのでしょうかー。」
大江健三郎さん著「小説の方法」によれば、

無意識な生活や行動はその間、何も存在しなかったのとおなじだから、
生活の感覚、生の実感を取り戻すために、芸術がある。

だから、芸術は、人を活性化させるための(何かの)仕掛けであるし、
犂靴讚瓩両?屬ら爐呂辰伐罎傍△蠎蟇?┐里△襦異化されたもので
あるべきである

では、「あるべき芸術スタイルに必要なのはどういうことか」…。

現状を絶えず打診し、否定するという繰り返しによって、
まずは鋭く、大胆に転換させること。
人間としての自分の表現を強力に奪い返し?、同時に
受け手の期待を破壊して、想像力をはるかにこえるものを提起してゆくこと。

それから、異質なもの(=他の領域にあるもの)を送り手側は取り入れること。
やがて惰性と純化の対極にある、ダイナミックな「異化」が(=創造と強い活性が?)
うまれてくるだろう。

受け手に様々な波風を起こし立てて(作品への拒絶、ショック、ときめき、徐々の理解など)、
それを明視させることで、やがて人間の情念を動かし
これまでの、限定されていた人間の活動範囲を広げていく。

その結果、異化され活性化した人間は、
(芸術の最終目的である?)、犖充足瓩鉢犧酩覆糧躍瓩箸竜?イ鬚Δ瓠
未来の経験に、向かっていくことが出来るのである。
…というようなことでした。

イッキに書いて(引用して)しまいましたが
なんだか分かるような分からないような。。。
ちょっと私の力では無理みたい。。。
けれどなんだかとても含蓄がある文章なので、時々読み返してみようかな、
な-んて、思った次第です(^^;)

しかしまたまた分かってきたのは…
街中の迷惑な落書きは、芸術では無い。というわけでは無い。…ということなんじゃー(?!”)
▲×□…?

うーん・・やはり状況や空気、そして人間が作るルールも
交えた上で喚起される異化こそが、芸術なのでしょうかー (…なんか苦しい)

けど確かに,たとえば、ちょっと強引ですけど
鍛えに鍛え上げた芸術的なボディをもつボディビルダーさんがいたとして、
ある朝、そのボディビルダーさんがマッチョな身体を、いきなり半裸で、あるいは全裸で
街中で猊集臭瓩靴呂犬瓩燭蕕匹Δ覆襪任靴腓Δ。

それを見て「お~!芸術だーっ!!」
と感動して叫ぶ人はまず皆無でしょうし(笑)
おそらくは「あのひと、なにしてるの~~?!”!!」
っていう冷たい視線を浴び、
ヘタすると、露出NGで御用ダ!になってしまうかもしれません。

だからやっぱり状況にそぐわない、自己中心的な猴扈颪瓩
芸術的からは遠い存在なのだといわざるをえないのかも。。。。

それでもやっぱりちょっと強引だなぁ~(汗)
どうもムツカシー…です。。