あの日から、今日、三年が経ちます。
私たちは、いま生きていることに感謝したいです。
先日、ラジオから、心理学者の故 河合隼雄さんの特集が流れてきました。
移動中だったのですが、
ギュッとうま味成分のある内容だったので、思わず耳を澄ませてしまいました。
特に終わりの言葉に、吸い寄せられました。
「本当の幸せが何か、というのに気づくのは、
本当に大切なものを失った後なのかも知れません」という…
日々の中、確かにそんなようなことを実感する瞬間もありますが、
スカーンと脳天パンチをやられ、
あやうく信号を間違えるところ…。
(アブナイ!)
引き寄せる言葉の変換力にうたれ、
帰宅後も、少し河合隼雄さんの世界に浸りました。
雪解け水が湧いてくるように、
今の私に響く言葉には、
生命力の源がいっぱい。
例えば
☆「真面目も休み休み言え」、という時の、「休み」が、大切なのである。
☆「右も駄目、左もダメ」と思ったときは、いっぺんボーッとするかというくらいのつもりでいると、
答えが生まれてくることもあるのではないか
☆相手に欠点がないように思われ、 何もかもうまくゆくのだったら、
その人とつきあうことは当然であり、 別に愛などという必要はないかもしれない。
欠点のある人(誰しも欠点を持っているのだが-)と、 自分も欠点を持つ人間として、
関係を維持してゆく努力の中に、 愛があるのではないだろうか。
☆「のぞみはもうありません」 と面と向かって言われ、私は絶句した。
ところがその人が言った。 「のぞみはありませんが、光はあります」
なんとすばらしい言葉だと私は感激した。 このように言ってくださったのは、 もちろん、新幹線の切符売場の駅員さんである。
(ちょっと落語のようで、ステキ)
本当に苦しい人は誰か…ということ
今日は特に、それを考えること。
(新聞にありましたが、それは、自ら被災者ながらも、逆風にさらされ、批判され、命がけの仕事をする原発関係者かもしれないし、
自治体関係者かもしれない。医療者、障害の有る人かもしれない)