下手な画像で申し訳ないのですが、雰囲気だけでもお伝えしたくて何枚もつい欲張ってしまいました。
(地雷の模型も展示されていました。)
74の国々が参列し、アメリカの代表者も初めて参加した、昨日の平和記念式典。
広島市長は 「被爆者の魂(たましい)と、世界とを縮める」と述べられ、
(地雷の模型も展示されていました。)
74の国々が参列し、アメリカの代表者も初めて参加した、昨日の平和記念式典。
広島市長は 「被爆者の魂(たましい)と、世界とを縮める」と述べられ、
総理大臣は非核三原則の堅持を誓っていました。
テレビを観ながら、小学校のときの音楽の授業をふと思い出した私です。
「戦争を知らずに僕らは生まれた~、 戦争が終わって僕らは生まれた~」
という歌を教わったとき、 不覚にも、「知らなくて当たり前でしょ・・、(!)」
テレビを観ながら、小学校のときの音楽の授業をふと思い出した私です。
「戦争を知らずに僕らは生まれた~、 戦争が終わって僕らは生まれた~」
という歌を教わったとき、 不覚にも、「知らなくて当たり前でしょ・・、(!)」
程度にしか感じた覚えがなかったこと。
大人になって、 (大人になればこそ…かな)自分が経験していないことを
大人になって、 (大人になればこそ…かな)自分が経験していないことを
経験した立場になって理解しようとすることは、たとえ戦争のような甚大な経験でなくても、
最も難しいことなのだなぁ…と感じることが多くて、
相通じていく路かもしれないと、思いつつも、モヤモヤとどうもわからないのです。
…☆
昨夏、2階の「誉りみち(ヨリミチ)」で展示会をした 鴫原大記(シギハラタイキ)さんが、
戦争犠牲者の遺骨を収拾するために (多くの遺骨がまだ埋まったままだそうで)、ボランティアで
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昨夏、2階の「誉りみち(ヨリミチ)」で展示会をした 鴫原大記(シギハラタイキ)さんが、
戦争犠牲者の遺骨を収拾するために (多くの遺骨がまだ埋まったままだそうで)、ボランティアで
沖縄のガマ(防空ごう)の跡を掘りにいったことを 聞かせてくれました。
時間も気持ちも(お金も…?)余裕があったからそうしたわけではなくて、
時間も気持ちも(お金も…?)余裕があったからそうしたわけではなくて、
むしろ危険を伴うと見られる作業に、抵抗や迷いを抱きつつ向かった。
結局、遺骨は収拾出来なかったけれど、ただひたすら掘り続けたこと、当時の茶碗などが出てきたことや、
結局、遺骨は収拾出来なかったけれど、ただひたすら掘り続けたこと、当時の茶碗などが出てきたことや、
生存されている戦争体験者と交流できたことなどの経験で、
65年という年月が、そう遠い昔のことではないとわかってきたのだと、聞かせてくれました。
池田晶子さんが生前、著書のなかで述べていました。
『自分と他人を分けられないのは、他人とは自分だからである。
愛とはつまり、こういうことである。』 と。
簡潔だけれど これこそ完璧な手掛かりを結ぶのかもしれない。
取り分け暑い今年の夏こそ、ヤケ汗をかきかき、沸点直前にふうふうしながら、
65年という年月が、そう遠い昔のことではないとわかってきたのだと、聞かせてくれました。
池田晶子さんが生前、著書のなかで述べていました。
『自分と他人を分けられないのは、他人とは自分だからである。
愛とはつまり、こういうことである。』 と。
簡潔だけれど これこそ完璧な手掛かりを結ぶのかもしれない。
取り分け暑い今年の夏こそ、ヤケ汗をかきかき、沸点直前にふうふうしながら、
池田さんの世界に触れてみようか…。
考えることからスタートしてみようかなぁ と思っています(*^_^*)。
考えることからスタートしてみようかなぁ と思っています(*^_^*)。