Aplaudoのブログ

ハンドメイド作家さんの作品を扱っている、茨城県水戸市南町3丁目のAplaudo(アプラウド)です。アプラウドの2階は、ギャラリー誉(よ)りみちです。

宿題

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

茨城県立図書館の1階エントランスホールで
写真パネル展「原爆と人間展」が開催されています。

8日(日)が最終日ということもあり、撮影許可をいただいたので
下手な画像で申し訳ないのですが、雰囲気だけでもお伝えしたくて何枚もつい欲張ってしまいました。
(地雷の模型も展示されていました。)


74の国々が参列し、アメリカの代表者も初めて参加した、昨日の平和記念式典。
広島市長は 「被爆者の魂(たましい)と、世界とを縮める」と述べられ、
総理大臣は非核三原則の堅持を誓っていました。

テレビを観ながら、小学校のときの音楽の授業をふと思い出した私です。


「戦争を知らずに僕らは生まれた~、 戦争が終わって僕らは生まれた~」
という歌を教わったとき、 不覚にも、「知らなくて当たり前でしょ・・、(!)」
程度にしか感じた覚えがなかったこと


大人になって、 (大人になればこそ…かな)自分が経験していないことを
経験した立場になって理解しようとすることは、たとえ戦争のような甚大な経験でなくても、
最も難しいことなのだなぁ…と感じることが多くて、 
でも、自分の経験からしか学べないのだとしたらそれはそれで虚しい。

思いを汲むこと、思い遣ることに
相通じていく路かもしれないと、思いつつも、モヤモヤとどうもわからないのです。


…☆

昨夏、2階の「誉りみち(ヨリミチ)」で展示会をした 鴫原大記(シギハラタイキ)さんが、
戦争犠牲者の遺骨を収拾するために (多くの遺骨がまだ埋まったままだそうで)、ボランティアで
沖縄のガマ(防空ごう)の跡を掘りにいったことを 聞かせてくれました。

時間も気持ちも(お金も…?)余裕があったからそうしたわけではなくて、
むしろ危険を伴うと見られる作業に、抵抗や迷いを抱きつつ向かった。

結局、遺骨は収拾出来なかったけれど、ただひたすら掘り続けたこと、当時の茶碗などが出てきたことや、
生存されている戦争体験者と交流できたことなどの経験で、
65年という年月が、そう遠い昔のことではないとわかってきたのだと、聞かせてくれました。


池田晶子さんが生前、著書のなかで述べていました。

『自分と他人を分けられないのは、他人とは自分だからである。 
愛とはつまり、こういうことである。』 と。


簡潔だけれど これこそ完璧な手掛かりを結ぶのかもしれない。
取り分け暑い今年の夏こそ、ヤケ汗をかきかき、沸点直前にふうふうしながら、
池田さんの世界に触れてみようか…。
考えることからスタートしてみようかなぁ と思っています(*^_^*)。