昨日は、小学生が 夏休みの総合学習の宿題で、
仕事のインタビューに
訪ねに来てくれました。
インタビューのお話中に、
作家さんやお客様が
色々とタイミング良く見えて、
実際の仕事を見てもらえたのが
せめてもの救いでしたが‥。
お店を始めた動機や、大切なこと、
大変なこと、やり甲斐は何でしょう?など
やはり、私では言葉力が足りなくて、
終始しどろもどろでした。
(何を言いたいのかすら
自分で言いながらわからないところが
あるのです)
でも、
ティーン女子とのひとときは、
やわらかく楽しめました。🌟~。
いま思い返すと、多分昨日は
『コミュニケーション』というワードを
随分使って
お伝えしてしまった気がしますが、
このコミュニケーションってヤツこそ、
案外と厄介ー。
言葉の意味も、実際も。
わかったような、霧立ち込めて
雲をつかむようで、
ますます
逃げられてしまいそうな‥。
(だったら、使わなければ良いのに
d( ̄  ̄)反省)
‥ ‥
そこで、
支離滅裂な私の言語のかわりに、
以前、心に響いた一行をメモ帳から
見つけたので、
昔の偉人の言葉をこの場を借りて、
昨日のティーンレディにプレゼント🎁したいです。↓
『夢、幻(まぼろし)のごときの
人生ならば、
一人だけ勝手に生きないで、
お互いに響き合って、
巡り合いをかみしめ
生きていく」‥という、
いわゆる、空くう の境地。
お釈迦様の言葉ですね
いきなりお釈迦様ではかえって
混乱?❓(笑)
でもこれらは、
コミュニケーションの原資とも
とれる気がするのです
何千年も前の言葉ですから‥。
では、混乱ついでに‥。
ダライ・ラマ14世の言葉も
非常に強いので。
前に向かっての縁起=チベット仏教です。
↓職業に関わらず生きることについて
『いま私たちが生きているということは、
未来に対する種まきをしているということ。
未来のよきことのために
種を蒔き続けていれば、
自分が死んでからでも
その種から
芽が出て育ち、必ず社会は良くなる。
絶望感の中でも、私は未来に対する、
よき種をまくものとして幸福感がある。』
ということです
さすがダライ・ラマじゃ❗
心をこめて、誠実に、
未来のために、
何かを成そうといま努力することは、
社会を良くすることとつながる。
(時間に差はあっても)
それは、仕事でも学校でも
何でもボランティア活動でも、
大切なことだから、
私も肝にめいじて、
今日からガンバろうと思います。
例えどんな逆境の中にいても、
幸福感を持てたら
最高でしょう。
昨日のレディも、
どうか、ファイトですよ
長々とありがとう
また、ぜひ遊びに来てください💜